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最上尊について

最上稲荷のご祈祷本尊は、「最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)」で、略して最上尊とも称されます。本殿奥深くお祀りされる最上尊の御利益を一言で表すと、「慈悲(おじひ)」。御名より、経典の王様とたたえられる法華経のこころをもって、衆生の悩み苦しみを和らげ安らぎを与えてくださる最尊最上の存在であると伺えます。左手の稲穂は実りの、右手の鎌は厄災をなぎ払う象徴で、五穀豊穣、商売繁盛、厄除け、開運などの福徳を有します。

天平勝宝4年(752)、当山開基・報恩大師は孝謙天皇の病気平癒の勅命を受け、龍王山中腹の八畳岩の岩窟にて法華経観世音菩薩普門品の呪を唱え祈願を行います。21日目の早朝、瑞雲たなびく中に白狐に乗ったお姿で応現されたのが最上尊です。報恩大師は自ら刀をとり御尊影を刻み、霊域に安置して祭祀供養されたところ、天皇の病は快癒されました。

その後、桓武天皇も自らの病気平癒を祈願した報恩大師に報いる為に堂宇伽藍の建立を発願、延暦4年(785)建立されたのが最上稲荷の礎となる「勅願所龍王山神宮寺」です。

約800年後、備中高松城水攻めの際に堂宇は消失しますが、信仰心篤い秀吉公により御尊像は元宮と称される別の場所に安置されます。領主・花房公の手厚い庇護のもと、慶長6年(1601)に池上本門寺16世・日樹上人の弟子、日円上人により再興され「稲荷山妙教寺」と改称、以来遠近より信仰を集め寺門繁栄を迎えます。

昭和25年(1950)、近隣を焼き尽くす大規模な山火事がおこるも、当山は仁王門を焼失したのみで本殿や本堂、庫裡に至るまで罹災を免れたことから、更に霊威ありと名が高まりました。

その御威徳を仰ぎ、最上尊を勧請する寺院や教会などが、全国各地に現れました。また、最上尊の神通力を鑚仰しその威大神力を体現すべく、報恩大師を始め先師先哲の秘事の体得を願う僧侶に苦修練行の場が、最上尊信仰発祥の霊地である当山に開設され、これが大荒行に発展しました。

毎年9月15日は、最上尊布教の総本山である当山において「最上位経王大菩薩(最上尊)年次祭」が執行され、全国各地より最上尊を慕う教師信徒相集い、更なる加護を祈念し信心堅固を誓います。

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